スタバなう

サブカル女子のくそブログです。

運命とはなんぞや

運命について考えることがあったのでここにつらつら書き出したいと思います。
普段楽しいことや悲しいこと様々なことがありつつもジェットコースターほどの激しい上下はなく、丘陵くらいの変化で感情が動くわけですが、ある日突然久しぶりの知り合いから連絡がきたりと、今までの生活リズムが狂うような、自分の未来帳にはなかったような出来事が起こりうるわけです。それでその人と会って話が盛り上がると、運命かと見間違ってしまうことが多々あるように思います。

しかし実際のところ、それはあちらが「久しぶりだな」と思いものの1分でLINEを送信したことが根源であり、そう考えると誰もが意図もたやすく運命を操作することができるわけです。もうこの瞬間にでもできるわけで、そう考えるとチャチなものだとも思います。

それよりもわたしが重視している運命論というのは、少しばかり宗教的なもので、例えば扉を出る時にいつも利き足である右足を出すのを少し堪えて左足を出してみるだとか、ひと気の無い横断歩道の信号を敢て待ってみるだとかそういったことで、その1,2秒が運命を変えると思っているのです。後は人身事故で1時間近く遅延してブルーな気持ちになっても、その後に旧友にバッタリ遭遇したりだとか、そういったことが起こると、あの出来事はこのためにあったのだとか浪漫を感じて、全てが今に繋がってるのだなぁとか思うわけです。

運命が起こり得ない環境は、グレー、所謂あやふやな状態であると思っています。例えば、付き合ってる異性がいるものの、マンネリの末に別れるか、別れまいかで悩んでいる状況というのでしょうか。付き合って行こうと腹を決めることも選択の一つで、一方別れると決心したところでも運命の歯車を動かすことになると思うのですが、どっち付かずでふわふわしてることが停滞の極みと言いますか、時間の無駄のように感じてしまうのです。付き合い続けるか、別れるか。どちらの道を選んだところで、長いスパンで見れば意味のあることになりますし、自分の心が動くことになると思います。人生は選択の連続だとはまぁよくも上手いことをいったもので、本当にその言葉には同感なのですが、別れ道の前で座り込むような生き方はしたくないとふつふつと考えるのでした。